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6000年前、埼玉は海だった…動いたのは海ではなかった、縄文海進の謎【ミステリー・古代史】

埼玉の内陸で見つかる貝塚は約6000年前の海岸線を示す。海水の重さで陸が動くハイドロアイソスタシーにより、関東の海面が一時的に今より高かった謎を解説。

Key Takeaways

  • 内陸の貝塚は、かつてそこが海岸だったことを示す確かな証拠である
  • 関東の縄文期の海面上昇は、海水量の変化ではなく陸地の動きによって説明できる
  • ハイドロアイソスタシーにより、海水の重みで陸が持ち上がり海面の見かけの高さが変わる

What the video covers

  • 埼玉県の内陸の畑から、蛤・牡蠣・しじみなどの貝殻が大量に出土する
  • これらは約6000年前の縄文時代の貝塚(カイヅカ)で、当時この地は海岸だった
  • 関東平野の貝塚は内陸深くまで続き、並びを地図に写すと消えた海岸線が浮かぶ
  • 1926年の地理学者・當山による貝塚分布の研究が、古海岸線の把握の出発点となった
  • 貝殻の成分が土の酸を和らげるため、骨なども残りやすく貝塚は貴重な記録となる
  • 約7000年前に世界の海面はほぼ現在の高さに達し、その後の上昇は緩やかになった
  • しかし関東では約6500〜5300年前に海面が今より2〜3m(資料により約4m)高かった
  • 原因は海水の重さで地殻の下のマントルが動き、陸地が遅れて持ち上がるハイドロアイソスタシー
  • 海水量が変わらなくても、陸の隆起により海岸から見た海面は下がって見える
  • よって6000年前の海岸線は現在より高い位置に残っている

Answers

Questions about this video

埼玉県内陸の貝塚はなぜ海の貝殻を含んでいるのですか?

貝は海や河口でしか取れないため、貝殻があるということは、かつてその近くに海があったことを意味します。約6000年前の縄文人が貝を食べ、殻を村の近くに捨てた跡が残っているのです。

約6000年前、関東の海面はなぜ今より高かったのですか?

世界の海水量はこの時期ほぼ一定でしたが、関東では約6500〜5300年前に海面が今より2〜3m高かったとされます。これは海水の重みで陸が後から持ち上がったことで、海が相対的に高く見えたためだと説明されています。

ハイドロアイソスタシーとはどのような現象ですか?

海水の重さが海底を沈ませ、その下のマントルが押しのけられて陸地を下から押し上げる現象です。水を入れた袋の片側を押すと反対側が膨らむのと似ており、海水量が変わらなくても陸地の高さが変わって海岸線が動いて見えます。

Full Transcript — Download SRT & Markdown

00:00
Speaker A
埼玉県の海から遠く離れた大地の町。畑の土を掘り返すと、白いかけらがいくつも出てきます。割れた貝殻です。蛤、ぐ、牡蠣、そしてしじみ。
02:28
Speaker A
1番近い海岸までは、ここから30km以上ありますけれど、この貝殻は誰かが最近持ち込んで捨てたものではありません。およそ6000年前、縄文時代の人々が食べた貝の、カイヅカと呼ばれる昔の村の跡です。
04:56
Speaker A
関東平野にはこうした貝塚が、海から遠い内陸の奥深くまで続いています。その並び方を地図に移すと、浮かび上がってくるのは、今はどこにもない海の形です。6000年前、この辺りは海岸だったのです。
07:26
Speaker A
海はなぜここまで来たのか。なぜ去っていったのか。そして消えた海は今どこにあるのか。貝殻の山と地面の下の地層を手がかりに、確かめていきます。答えは最後の章で。
09:53
Speaker A
日本だけ今より高い。第2章で解面は およそ7000年前にほぼ今の高さになっ たとお伝えしました。世界全体で見ると 大きな氷が溶け切った後海面の上昇はごく 緩やかになります。つまり海の水の量は 7000年前からあまり変わっていません 。ところが関東の地想を調べると奇妙な ことがわかります。およそ6500年前 から5300年前頃にかけて関東の [音楽]解面は今より2mから3mほど 高い位置にあったのです。資料によっては およそ4mとするものもあります。海の水 はほとんど増えていない。それなのになぜ 日本の海は今より高かったのか。そして なぜその後下がったのか。ここで味方を逆 にしてみます。海が上がり下がりしたので はなく、陸の方[音楽]が動いたのだとし たら鍵になるのは海の水の重さです。氷が 溶けて生まれた大量の水は世界中の海に 加わりました。その重さは海の底に のしかかります。地球の表面は硬い岩の板 でできていますが、その下には長い時間を かけてゆっくり動く。ワントルという層が あります。重い水が乗った海の底は何千年 もかけて少しずつ沈み込んでいきます。 すると押しのけられたマトルが陸の死体 ゆっくりと回り込み陸地を下から 押し上げる。水を入れた袋の片側を押すと 反対側が膨らむようなものです。海の水の 重さによって陸がゆっくり持ち上がる。 この現象はハイドロアイソスタシーと呼ば れています。陸地が持ち上がれば海岸から 見た海面はその分下がって見えます。海の 水が減らなくても海は置きへ知りいていく のです。つまりこういうことです。水が 増えて海面が上がった後、日本の陸地は 遅れてゆっくりと持ち上がってきた。だ から6000年前の海岸線は今から見ると 高い位置に残っているのです。こうした 動きは大きな氷から遠く離れた日本のよう
12:17
Speaker A
第1章 貝殻が描いた海岸線
14:37
Speaker A
貝塚とは、縄文時代の人々が食べた貝の殻や、使えなくなった道具を捨てた場所です。殻は長い年月をかけて積み重なり、白い層になって土の中に残ります。貝殻の成分が土の酸を和らげるため、普通なら溶けてしまう骨まで残りやすい。だから貝塚は、当時の食べ物や暮らしを知るためのまたとない記録になっています。
17:03
Speaker A
ここで当たり前のことを一つ確かめておきます。貝は海や川口で取れるもの。人々が貝を食べ、その殻を村の中に捨てていたのなら、村のすぐそばに海があったはずです。
19:22
Speaker A
この考えを関東平野全体に当てはめた人がいました。1926年、地理学者の當山(とうやま)です。当時、関東の各地で見つかっていた貝塚の場所を地形の図に一つずつ書き込んでいきました。すると貝塚は出鱈目に散らばっているのではなく、大地の縁に沿って並び、ある所でパタリと途切れていました。
Topics:縄文海進貝塚古代史ハイドロアイソスタシー関東平野縄文時代海面変動地形ミステリー埼玉

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