Speaker A
ただのニスよ。これはベルサイユ宮殿金の間。修復のソフィーは手のひらに乗るほどの小さな箱を窓からの光にかざしました。桃の形をした箱です。黒に金の粉が霞のようにかかり、鳩花が金色に浮かんでいる。少し古びた東洋の小物入れ。彼女の目にはそう映っていましたけれど、この箱にはある夜の記憶が刻まれています。1789年10月、ゴートがベルサイユ宮殿になだれ込み、国王一家はパリへと連れ去られました。華やかな城を追われた王妃はその後信頼する一人の合唱[音楽]に頼み事をします。城へ戻って私の大切な品を運び出してほしい。その中心にあったのがはるか同意に本から海を渡ってきた小さなうしの箱でした。王妃の名はマリー・アントワネット。全てを失いかけていた王妃がなぜ日本の小箱を守らせたのか。そしてヨーロッパはなぜ100年かけてもこれと同じ[音楽]ものを作れなかったのか。その答えを一人のフランス人が自分の目で確かめることになります。ただの二問い切った修復士のソフィーがこの箱の本当の正体を知るのは京都の小さな攻防、そして岩手の山奥に立つ一本の木の前でした。谷の朝は石畳が濡れていました。ソフィールロは52歳。ベルサイユで家具や工芸品の修復を手掛けて25年になります。彼女の攻防には筆と小刀と何十本もの小瓶が並んでいます。中身はそれぞれ配合の違うに王家の机の化粧台、貴族の小箱、200年300年前の彼女は一つずつ消してきました。中でもソフィーが誇りにしている技があります。ベルニマルタン。18世紀のパリでマルタン兄弟という職人たちが磨き上げた塗りの技です。当時のヨーロッパでは東洋から届く黒く光る器が王規族の憧れでしたけれど、その材料も作り方も誰にも分からなかった。ら自分たちの手で作ってしまえばいい。そうして生まれたのがベルニマルタンでした。ベルサイユの部屋にも馬車にもそのつやかな塗りは使われていきます。ソフィーの祖父もその技を受け継ぐ職人でした。子供の頃祖父の膝の上で嗅いだ樹脂の甘いにおい。それが彼女の仕事の始まりです。昼休み、中庭のベンチで同僚の学芸院マルクが紙コップのコーヒーを差し出しました。聞いたか?ソフィー、王妃の小箱。次は君の担当らしい。東洋のうしね。見たことはあるわ。正直に言えば僕はあれの良さが分からないんだ。黒くて光っていて金色の模様がある。それだけだろう。ソフィーは笑ってコーヒーを一口飲みました。見た目だけならマルタン兄弟[音楽]がとっくに追いついたわ。材料が違うだけ。要するに上等なニスよだろうね。フランスの職人は東洋の真似から始めて東洋を超えた。そういうことさ。二人はそれ以上この話をしませんでした。噴水の水音が午後の光の中で静かに響いていました。その日の夕方ソフィーの机に一通の依頼書が届きます。アメリカロサンゼルスの美術館への貸し出しに向けた状態の点検。対象はマリー・アントワネット像、日本製のうしの小箱、桃の形の箱。ソフィーは依頼書を指先で軽く叩きました。蓋を開けて痛みを確かめて報告書を一枚書く。よくある仕事だと思ったのです。この箱が彼女の25年を根元からひっくり返すことになるとも知らずに。点検の前の晩、ソフィーは攻防に残って箱の記録をめくっていました。古い目録のうし、美術館の大腸、研究者の論文、神の束をたどるうちに手が止まります。この箱の持ち主は初めから王妃だったわけではありませんでした。1780年11月、オーストリアの宮院で一人の女帝が息を引き取ります。マリア・テレジア、マリー・アントワネットの母です。母は東洋のうしを心から愛した人でした。ダイヤモンドよりうしの方が好き。そう語ったと伝えられています。その母が集めたうしのほとんどを残した相手、それがフランスへとついだ末娘でした。小さな箱がおよそ50点。母の片がベルサイユに届くと王妃は自分の支質を丸ごと作り返させます。それが金のした腕利きの家具職人に日本のうしの板を張った家具を揃えさせ、球団の棚を持つガラスの飾り棚を作らせた。箱の多くはその棚に並べられました。中でも気に入っていたのが小さな犬の形をした箱です。王妃はそれを暖炉のそばの承卓に置きました。部屋を訪れた人の目に必ず入る場所です。母から受け継いだ50点に王妃は8年の間にさらに30点ほどを買い足しました。人前では常に見られ噂される王妃。その彼女が家族や親しい友人とだけ過ごす小さな部屋に日本の箱を並べていたのです。けれどその静かな時間は長く続きませんでした。1789年10月5日、パリから押し寄せた軍衆がベルサイユになだれ込みます。国王一家はそのままパリへ連れて行かれました。その5日後、王妃は信頼する家臣に頼んで城から大切な品を運び出させます。その中心にあったのがあのうしの箱でした。車掌は一つずつ目録をつけ、丁寧に[音楽]梱包して運びました。いつか王妃の元へ返すつもりで、しかし箱が王妃の手に戻ることはありませんでした。1793年10月16日、マリー・アントワネットは弾劾に登ります。翌年の3月、革命政府は王妃のうしを国のものにすると決めました。王家のものは次々に売られ壊されていた時代です。それなのにこの小箱だけは壊されませんでした。売られることもなかった。あまりに美しかったからと言われています。箱は荒れたパリの通りを運ばれ、後のルーブル美術館に納められました。そこはかつてフランス王家が暮らした宮殿でもありました。それからおよそ170年、第2次世界大戦の後の美術館へ移され、1965年多くの箱がベルサイユへ帰ってきます。18世紀の王妃の収集がほとんど欠けずに今に残っている。ヨーロッパでも滅多にないことでした。ソフィーは記録を閉じてしばらく天井を見上げました。革命をくぐり抜けた箱。それだけのことだと自分に言い聞かせるように。翌朝白い手袋をはめてソフィーは桃の箱を持ち上げました。最初に驚いたのはその重さでした。ほとんど重さを感じない。金で覆われているのにまるで紙を一枚持っているように軽い。光を受けると金属の塊にしか見えないのに指先でそっと蓋を持ち上げます。中にはもう一枚同じ桃の形をした小皿が入っていました。淡い金色の地に腸に引き桃の葉とつぼみと花の間をヒラヒラと舞っている。小皿を持ち上げて裏を返します。今度は細かな金の粒が夕やけのような色の奥からチラチラとまたいていました。箱の内側も同じが焼きです。300年ほど前に日本で作られた箱。船に揺られて海を渡り、王妃の部屋を飾り、革命をくぐり抜けてきた箱。その内側がたった今塗り上がったばかりのように光っている。ソフィーの指が小皿の縁で止まりました。ミスなら塔に黄ばんでいる。が入って曇っているはずだ。25年自分の手で確かめてきたことです。これは一体何でできているのか。その日の報告書は一目からかけませんでした。点検の報告書には痛みはほとんどないと書きました。それは事実ですけれどソフィーの頭からはあの腸の金色が離れませんでした。自分の手で作ってみれば分かるはずだ。週末の攻防、ソフィーは小さな木の板を何枚も並べ、ソフィーから受け継いだベルニマルタンを重ねていきました。黒を塗り、乾かし、磨き、また塗る。3日かけて仕上げた糸を桃の箱の写真の横に置きます。艶は出ていましたけれど、並べた瞬間に分かります。こちらの黒は表面で光を跳ね返しているだけ。あの箱の黒は奥から光が滲み出てくるようでした。材料が違うなら同じ材料を使えばいい。ソフィーは東洋の本物のうしを取り寄せました。小さな缶の蓋を開けると薄い雨色のとろりとした樹液、ツンとした酸っぱいにおいが攻防に広がります。手袋をしていたのにその夜手首が赤く晴れてひどく痒みました。うしは触れただけで人の肌を荒らす。そのことを彼女は身を持って知りました。薄く塗った板を暖房の効いた乾いた部屋に置きます。ミスなら一晩で指につかなくなる。翌朝指先で触れるとまだべたついていました。2日目も3日目も1週間経っても板は濡れたように光ったまま少しも固まりません。温度を上げてみました。窓を開けて風を当ててもみました。乾かそうとすればするほど、うしはいつまでも柔らかいままでした。25年、どんな塗料でも乾かしてきた手です。その手が小さな感一つに負けている。夜の攻防でソフィーはべたついた板をじっと見つめていました。私は何を知らないのだろう。翌州彼女は一本のメールを送ります。宛先は下美術館の知り合いの学芸院から紹介された日本の京都に住む一人の牧恵氏でした。返事は短いものでした。どうぞいらしてください。見ていただくのが一番早いと思います。6月の京都は雨でした。空港から乗り継いで駅に降りた瞬間、ソフィーの方に生ぬるい空気がまとわりつきます。湿った布を顔に当てられたような重たい空気。タの乾いた風とはまるで違いました。細い路地を抜けた先にその攻防はありました。防止度の古い町や遠を開けると奥からあの酸っぱい匂いがかすかに漂ってきます。遠いところようこそ。西村総一郎74歳。牧の仕事を始めて反世紀を超えます。小柄で声は静か。膝の前には細い筆と小さな竹の筒と金色の粉が入った皿が並んでいました。ソフィーが桃の箱の写真を差し出すと、西村さんは老眼鏡をかけ、長い間黙って見つめていました。京都で作られたものでしょう。この金の巻き方は多分この町の職人の手です。ソフィーは息を飲みました。あの箱の生まれた町に自分は今立っている。西村さんは江戸の頃の話をしてくれました。この町では上等なうしの品が注文を受けて作られていた。それが長崎へ運ばれ、当時日本と秋内を許されていた中国やオランダの商人の手に渡る。その先の旅はソフィーの方が知っていました。王妃が暖炉のそばに置いたあの犬の箱、マカやバタビアの港を経てインド洋を渡り、アフリカの南の橋を回ってアムステルダムへ。1年以上の船旅です。やがてパリの収集家の手に渡り、177年の兄弟の目録にはただ一言犬と記されました。それを買い求めたのがマリー・アントワネットでした。京都の職人が作った犬が海を超えて王妃の暖炉のそばにたどり着いた。二人は顔を見合わせて小さく笑いました。西村さんは作りかけの小箱を見せてくれました。木の上にうしを塗っては固め、トイレはまた塗る。模様を描く前の下地だけで多い時は25回ほど。そこから巻江の層をさらに15回ほど重ねていきます。一つの箱にどれくらいかかるのですか?こういう箱なら一年は見ていただかないと。西村さんは竹の筒を取りました。片方の口に細かい網が張ってあります。濡れたうしの線の上で筒の先を指で軽く弾く。トントン。金の粉が雨のように細かく舞いて線の上にだけすっと吸いついていきました。英語ではうしの器のことをジャパンと言う[音楽]でしょう。西村さんがとつりと言いました。そうでした。国の名前[音楽]を小文字で書けばうのうは真似して塗ることはジャパンと呼ばれました。焼き物がチャイナと呼ばれたようにヨーロッパの人々はこの輝きに国の名前をそのままつけたのです。ソフィーは攻防で固まらなかった板の話を打ち明けました。暖房を効かせて風を当てて一週間待ったこと。西村さんは目尻にシワを寄せて穏やかに言いました。乾かそうとなさったんですね。そしてゆっくりと立ち上がりました。うしは寝かすと固まらないんですよ。の奥に黒い木の扉がありました。西村さんがそのと手に手をかけます。お見せしたいものがあります。扉の向こうは畳一枚ほどの小さな部屋でした。いえ、部屋というより大きな木の戸棚です。中は薄暗らく板の上に塗りかけの器、焼こ箱が静かに並んでいました。一歩近づいた瞬間ソフィーの顔をしっとりとした空気が包みます。八駅で感じたあの重たい締め家。それがこの戸棚の中に閉じ込められていました。西村さんは固く絞った濡
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