Speaker A
はい。え、それではですね、え、コミュニティ論、え、海賊とコミュニティ始めていきたいと思います。あの、まず、あの、コメントまとめですね、コメントへのリアクションをしていきたいという風に思います。え、ちょっとすいません。これ毎回やれるわけではないんですけれども、あの、できるだけ、え、していきたいという風に思います。で、え、これだね、えっと、ちょっと皆さんのコメントを見てですね、あの、疑問点なんかもありましたので、それに関しても、えー、お答えして、で、また、あの、なんか、うんと、いいなと思ったコメントをね、紹介しようと思ってます。え、授業の補足という意味もあります。え、で、え、こちらですね。え、1番最初の方、自分は自分が男であると疑ったことはなかったが、まさにそれがマジョリティ、えー、シスジェンダーをアイデンティティを気にしなくて良いことなと思った。はい。素晴らしいね。素晴らしい気づきだと思います。はい。で、えっと、ちょっとこれですね。え、ちょっと飛ばして、と、私はジェンダーが実感を伴って理解できているとは言えないと思うが、規範や枠組みに囚われる他人に無意識に適用することは避けたい。うん。素晴らしいですね。え、しかし私は外見で人の性を予測し、男か女判断します。え、ここあまりにも今まで疑ってこなかったし、そ、もしその判断を失ったとして目の前の人の性をどう考えたらいい?うん。え、外見から性を判断するとは言っても、だから何々べきだから何々なければいけないとは考えない。理由になっていないことが多いからだ。この考え方はあればいいかなとは思う。はい。ということです。ありがとうございます。で、これね、あの、ひょっとしたら、あの、戸惑う方もいるのかなという風に思うんですけれども、うんと、例えばですね、私は、あの、学生さんを呼ぶ時に全部3付けなんですよね。え、何々君、何々さんっていう風に呼んじゃうと、そ、あの、無意識にその人の性別とか、ま、ジェンダーアイデンティティを判断しちゃってるってことになるので、あの、ちょっとしたあの、言い方でか、あの、印象変わるのかなという風に思いますし、なんかその、えっと、あまりそのじゃ男性か女性かで態度を変えるっていう習慣が結構みんなついてるような気がするんだけれども、特に変えなくても、あの、私はあんまり不便を感じないんですよね。うん。だから、あの、ま、もちろん無意識に私も判断してる、えっと、場合があるとは思うんですけれども、あの、男性か女性かということでなんか違ったコミュニケーションの形式を、ま、しなくてもいいんじゃないかなっていう風に考えると楽になるかもしんない。つまり、ま、人間として扱えれば、あの、まあ、問題ない経緯を持ってね、人間として扱うという風にすれば、ま、男性か女性かってあんま関係なかったりもするので、あの、最初ちょっと難しいかもしれないんだけど、ま、この方よく分かってるよね。何々すべきとか何々え、しなくちゃね、何々があの普通なんだみたいな感じでは考えてない方だと思いますので、えっとかね、あのできそうな気がしますね。はい。え、ありがとうございます。で、次ですね。えっと、私はジェンダー論における最大の問題は個人、あ、他人や社会にあると考えています。人間は自分や他人を分かりやすく分類することで安心を得ようとする生き物です。ま、これはそうなんですよね。あの、これはね、もうしょうがないことで分類することによって安心できるんだよね、自分が。ま、それ本当にそうなんだよ。はい。で、ちょっと続きです。そのため社会の中で他者と比較する機会が多くあるべきという価値観を自分や他人に押し付けてしまう傾向があります。え、しかし私はそういった価値観や概念、定義などを他人に押し付けたり、逆に押し付けられたりすることに強い不快感を覚えます。ですが、身体的特徴などの物理的に避けづらい問題もあると思います。そのため他人とのコミュニケーションにおいて性別を1つの手がかりにするのは仕方がないと思います。重要なのは相手へのアプローチが間違っていると感じた時に柔軟に対応したり無理に相手を型にはめないことだと思います。私の考える理想は性別は年齢や趣味などと同様に個人に関する1つの情報として扱い他人をその人個人として尊重し、安易な、え、分類や比較をしない世の中だと思っています。なので問題の根底にあるものは性別の差などではなく人間の他人の扱い方や修正社会構造なのかなとも思います。はい。すごいありがたいですね。これはあの本当にあの授業の補足になってると思いますし、先ほどのねあの疑問点を持ってくれた方へのアンサーにもなってるんじゃないかなという風に思います。あのその通りかなという風に思いました。紹介させていただきました。[ため息]え、あと次ですね。僕が小さい頃は色々な人に男なんだからまるまるしなさいとかよく言われていました。もちろん僕自身その言葉に違和感はなく男だから仕方ないなという勝手な解釈をしていましたが中にはよく思わない人もいるのだと改めて知りました。途中で見せてくれた動画では女の子みたいに走ってといって、え、少々からかったような、えー、あ、笑らったかな?ように、えっと、え、走る、えー、真似をするのは子供たち、え、だ、ではなく成人してるであろう我々大人たちの方だった。ま、これね、成人をおそらくしてる人いるのかな?10代後半ぐらいの人たちだね。で、えっと、これは、ま、子供は男みたいな走り方だから女みたいな走り方だという概念ではなく、自分が走っているっていうことを想像して走ってる。はい、ありがとうございます。そうだね。あの、これ違和感なくね、育っちゃ、育ってきた方もいらっしゃると思うので、あの、全員がこう違和感を抱いているっていう話ではないんだけど、ま、違和感を覚える人もいるんだよねっていうのは本当に、あの、知っておくといいかなという風に思いますし、うん。この方のね、言う通りで自分が走っているっていうことを想像してる、何か男だからこう、女だからこうみたいなあの観念自体がないんですよね。小さい女の子っていうのはね、それがすごく良かったかなっていう風に思います。はい。えっと、はい。で、え、次の方ですね。私には兄が2人いて、小さい時は兄のように男っぽくいることが正しいことなどなのだと思っていた。え、そのため早く走れると宣伝していた男の子用の靴を履いたり。これ瞬速ってやつですかね。え、見出し並みを揃え、整えたりすることにあまり関心が、え、なかったり女の子らしいスカートを履くことに恥ずかしさえ感じていた。しかし小学校3、4年生になると見た目にも気を使い、えー、正確にも男らしさが少し抜けた気がする。この変化は今振り返ってみるとどうして起こったのか不思議である。やはり自分を客観的に見られるようになると女の子なのに男の子みたいな見出し並みをしていることに違和感を感じ始めるからなのでしょうか。それとも周りの男の形から普通の中はの子はこうなのだと見て取れるようになるからでしょうか。ま、これはちょっとえっと人それぞれかなとは思いますね。で、私の場合ちょっとなんだろう。の方はなんかもうめんどくさいからこういう風にしとけば女らしく見えるだろうぐらいのなんか舐めた態度でしたよね。だ社会規範があるのを自覚してま従っていれば楽だろうみたいな感じであ、あんまいいかどうか分からないんだけどそういった感じでそれからなんかその自覚しなんて言うんでしょうね。今は結構楽しいですよ、女装するのが。うん。あの、私シスジェンダーですけれども、やっぱその女装って思っちゃうんですよね。うん。ファッションにも興味が出てきたし。うーん。ま、メクロゴチっていうね、服のブランドにはまっちゃってお金がないんですけど。はい。ま、そんな感じだ。ま、だからちょっとそれぞれだから分からないんだけれども、あの、社会規範っていうのを、まあ内面化って言うんですけどねを自分の中に取り込んで、ま、これ、ま、いわゆるその社会での規範的なあり方に合わせていくっていうようなあのプロセスはあのあるんじゃないかなと思います。あの、それを自覚してるかどうしてる人もいれば自覚してない人もいるし、あの規範的なものがそもそも好きっていう人もいるからこれはね、本当に人それぞれかなという風には思いましたね。はい、ありがとうございます。で、次の方はですね、ジェンダークイアという、ま、政治人、え、だという風に紹介いただきました。ありがとうございます。で、あの、ちょっとね、この私の、えっと、お話ではジェンダークイアっていう言葉は出てこなかったのですが、あの、こういった表現も、あの、あ、あると思います。あの、あると思いますのでいいと思います。え、で、えっと、で、この方のあのお話で、えっと、なんか、ま、その、ま、男性女性っていう風にね、あの、ところに、あの、どういう風に判断されたりとか、ま、男性だから女性だからっていう風に扱われ、扱わずですね、その彼と私、私と彼との会話っていう風に、ま、個人として見て見られるっていうことが、あの、リラックス、え、できていうようなことかなという風に思いますし、あと、ま、カテゴリーですね、自分を表すジェンダーカテゴリー、あの、え、アイデンティティカテゴリーリーっていうのを知ったことによって楽になったっていう話、え、だなという風に思いますので、ま、こういったことは、あの、今日の授業でもね、お話ししてますので、え、と思います。あの、すごく貴重なあの、お話をシェアしていただいてありがとうございます。はい。で、次ですね。えっと、ま、これ自分の感覚として今まで男女の子が女の子っぽいねって言われることが嫌だとは思っていなくて、女の子っぽいねと言われるのが嫌なのは海外だけなのか、それとも日本でもそうなのか気になったということですが、あのこれね、その女の子っぽいねっていうことに別的な意味が入っていない、え、というその場面であれば全然大丈夫だと思います。あのオールウェイズのCMではですね、これあの日本でもありますよ。MC風に女性と結びつけられる、え、言葉っていうのは、あの、別的なあの意味が入っている場合があるんですよね。ま、それと多分似ていることで女の子っぽいねっていう、女の子みたいだねっていう風に、え、言われることが、あの、物別的な意味を含む場合があるんですよ。で、それはもちろんね、あの、含まない場合もあるので、え、この方はですね、あの、特にその、そういった、え、要素は感じなかったんだと思いますけれども、なのでちょっと区別して考えたらいいのかなという風に思います。ジェクシンえはあののあの経験の中では大丈夫だったんだけれども中ではそのえっと女の子っぽいねっていうえことでえ別的な意味を含んじゃう場合があってそれをあのえー学んでしまうっていうねえ方もいらっしゃるということでございますね。はい。だからちょっとごめん。えっと、ちょっと誤解を産んじゃったかもしれないですのでその点補足しておきます。はい。で、こちらもね、えっと、こちらははい。えっと、え、本講義を通じて、え、私たちの日常生活や、え、家族のあり方が無意識のうちにジェンダー規範に強く規定されていることに、え、気が気づかれました。え、特に印象的の女の子らしく走るという行為に対するの認識が年齢によって異なるという検証動画と幼少期から男性は賢いというステレオタイプが、え、すり込まれていく京都大学の調査結果です。え、これらはジェンダーが社会的に構築され、繰り返される行為によって強化されるものであるという実バトルの理論を実証しているように感じました。え、この構築された当たり前は家族という最初のコミュニティから始まり社会全体に浸透していきます。資料にあった、え、明治民法家での妻の財産権の不在や家族は家族内における明確な権力構造と役割分担を生み出し、その名残りが現代の未婚率の上昇や家族形態の多様さに対する社会の適応の遅れにも現れています。はい。え、そうだと思いますね。あの、これのその家族に対し、え、関してのね、え、ことにこともまたあの性別役割分業みたいなお話とか福祉に関するお話とかで話してあの、あのね、あの学習していければいいなという風に思っています。はい。それではですね、一応これであのコメントに対するレスポンスを終わりたいと思います。次の動画からは授業が始まります。











